ホオズキ 記事へ

四歳と五歳の二人のむすこは、毎日毎日が何でも好奇心のかたまりで、いたずらで、ワンパクの真っ最中である。

   

つい先日も、裏の家に、青い袋をいっぱいつけたホオズキを、四、五人の仲間たちとひきぬき、実をちぎり散々のいたずらをしている。
赤く色づきかわいくなるホオズキを思うと、裏の家の奥さんに申し訳なく、重々おわびする。
散々ちらかっているホオズキの実を片づけながら子供たちに
「青いホオズキもいたいいたいって泣いているのよ、かわいそうに。もうこんなことをしちゃあだめよ」というと、
五歳の兄は「もうしないよ。ねぇ純ちゃん、おかあちゃんごめんなさい」と素直にあやまる。

   

ふっと私自身、もう二十年も昔、
その当時、山梨県の甲府の町はずれにいた私は、やはり近所の友だち大勢と、近くの寺社のすぐそばの、大きな家の庭にまっ赤に実っているホオズキがほしくて、大勢でぬき足さし足で取りにいき、皆が一列に小川に素足を入れて並び、そのまっかなホオズキを口に入れて遊びながら、大きな声をはりあげて、歌をうたった一コマが、まるで一枚の絵のようにはっきり浮かび、今子供たちがちらかした、この青いホオズキの実が、たまらなく、いとおしく、なつかしく思うのであった。


地震 記事へ

『天災は忘れたころにやってくる』とか、この前の春の地震の時も驚いたが、六日の地震には夜中でもあり、強い震度にほんとうに驚いてしまった。

   

胸はドキドキ、足はガクガク、主人と二人の子供を連れて戸外へ出る。
また強いのがきはしないか、と一時間近く外にいて、やっと中にはいる。
でも、たびたびグラグラとゆれ、とうとう朝まで一睡もしなかった。
七時過ぎ、洗たく物を干そうと、物干し場に上がるのに、階段が恐ろしくて、またゆれはしないかと、ビクビク、とうとう出勤前の主人をくどきおとして一緒に上がってもらう。

   

それからたびたびゆれる。
自動車の音でも、地震の前ぶれかしらとドキドキ、畳を歩く足音にもビクビク、地震恐怖症だと主人に笑われる。

六日の夜、床にはいる前に、懐中電灯と、大きなふろしきを枕元に置く。
「これ何だい?」主人が不思議そうに問う。
「ああこれ、わが家の大事な物よ、預金通帳と現金、大事な書類にハンコ、こっちは赤チンにチリ紙とタオル、そして子供の着替えよ」
「ばかだな、もう心配ないよ」
「だって、万一ってこともあるから」
「アハハハ...」笑う主人がちょっぴりうらやましい。

   

「おかあちゃん、地震って土地の下で、大きな大きなナマズが、あばれてるんだってね、○○ちゃんがそういってたよ」五つになる長男がフトンの中からいう。
「でも、ジャイアント・ロボに頼めば大丈夫だよ、きっとナマズやっつけてくれるよ」
「そうね、おかあさんも頼もうかな?」
地下にいる大きな大きなナマズさん、もうあばれないでよね、お願いよ。


滑床 記事へ

『子供たちを年に数回、大自然の中に連れて行ってやろう』私たち夫婦の考えである。
この夏もつい先日、親子そろって久しぶりに滑床をおとずれた。
二人の子供は大喜び、バスから見る移り変わる景色をあくことなく見つめている。緑が美しい。
若い人の多いキャンプ場で私たちのように子供連れは少ない。楽しそうな若人の笑い声や歌声になんだか急に若返ったよう。

   

バンガローを借りる。二畳足らずの小屋の中には、相合い傘あり、○○高有志とか○○部とか、さまざまの落書きがあり、青春の一コマ一コマの思いが残され、思わず楽しくなる。
子供はすっかりこの赤い屋根の小さな小屋が気に入ったらしく「いいな、いいな」を連発している。清流のせせらぎと緑に囲まれ、私たち夫婦も子供もごきげんである。雑草のにおいもなつかしい。

   

めまぐるしい、スピード時代の世の中に、子供たちに豊かな心、情緒的なものを与え求めるのは難しいかもしれないけど、この大自然の中で子供たちが伸び伸びとたわむれている姿に本当に心楽しくなる。
海水パンツになり、清流の岩のあいだの浅い所で水遊びに興じている子供たち。
主人の腕にぶらさがり水の中で、キャーキャーとさわぐ声が岩の上にすわっている私の耳にはいってくる。

   

来年は一晩泊まろう。
バンガローにロウソクをともし、ハンゴウごはんを、子供たちに食べさしてやろう。
それともテントを借りてキャンプをしようかな。
主人と二人、来年のことをいうと鬼が笑うといいながらも話はつきない。
子供は帰りのバスの中で、私と主人に一人ずつもたれかかって眠ってしまった。
どうかこの子供たちにとってきょう一日が楽しい思い出として、幼い心にともってくれますように。


ある老夫婦 記事へ

どうしてもあの老夫婦のことをつづりたい。
昼間は実家の父母が営んでいる食堂を手伝っている私の目に、いつもしっかり寄りそっているあの、おじいさまとおばあさま。

お医者に来た日は、いつもお店に来て、おうどんや、おすしや、ゆでタマゴを食べてお話して帰っていくお二人。
大洲の方だとかで、奥さまが目を悪くして、宇和島の眼科に長いあいだ入院して、少しよくなったとかで退院、そして週に一度くらいのわりで通院、育ちの良さがお二人に、にじみ出ていて、上品な物腰にとても好感をもっていました。

   

その目の悪い奥様を、おじいさまはそれはそれは優しくいたわり、お店にはいっていすにすわらすのに手をとってすわらし、まっ白のハンカチを奥様のひざの上に広げ、おうどんの汁が、こぼれないように気を使い、取りにくいうどんは、ハシにとって口に入れてあげたり、いなりずしも食べやすいようにおサラを手にもたして上げたり、ゆでタマゴは皮をむいてお塩をふりかけ、手にもたしてあげたり、見ていて本当にほのぼのして何てすばらしいご夫婦だろうと思いました。
食べてるあいだも、おじいさまは、たえず優しい、いたわりのことばをかけられ、本当にじーんと胸にくるようです。

若い夫婦の仲の良いのは、あたりまえだけど、お年寄りのご夫婦が、いたわり合っている姿って、本当にすばらしいと思います。あんなすばらしい夫婦になりたいと、しみじみ思いました。


その老夫婦が、しばらく見えないので、悪いのではないかしらと、実家の父母ともども心配していましたら、一昨日、とても元気なお二人の姿をお店でみて安心しました。
奥さまの目が、とても良くなったとかで、洋装でさっさと歩くお姿に、とてもうれしく、おじいさまの手に寄りそって、とぼとぼ歩いていらしたあの奥さまが、おじいさまの肩に寄りそって、さっさと歩く後ろ姿に「よかったわ」と、心から思わずにはいられません。

とてもすばらしい、この老夫婦に、大いに学びました。いつも微笑を忘れない奥さま、その奥さまを優しくいたわるご主人。
いつまでもいつまでも長生きしてください。心をこめて、祈らずにはいられません。


弟 記事へ

昭和21生まれ、満22歳、身長175センチ、体重86キロのこの巨大なる弟は、目下県警本部の白バイに勤務している。
同じ警察に勤める兄の家に居そうろうの身である。

私と六つも年が離れているのに、弟が年よりだいぶんふけてるらしく、昼間は実家の店を手伝っているこの私を、店のお客さんの中には弟の嫁と思っている人もいて、ついこのあいだも20日の交通事故0の日にお客さんの一人が「奥さん、きょうは0の日だから、ご主人も松山で忙しいことでしょうなあ」といわれ苦笑する。

   

ことしにはいって、この弟が中古車のポンコツを購入した。
春のゴールデンウイークに宇和島へ帰った弟は、松山へ戻る時にはこのポンコツの後ろのシートいっぱいにマットレス、それに実家の父母がビールの値上げとかで、買いおきをしていたビールを2ケースもちゃっかりつみこみ、勇んで帰っていった。
今まで汽車で帰る時は、これもあれも持って帰れといっても、荷物になるから何とか理由をつけて持って帰らなかった弟が、中古車を買ってからはこのありさまである。

   

この弟が今月にはいって三日間休みがとれたからと帰ってきた。
こんどは車でなく汽車である。
三日間わが家に泊まった弟は、大変な暑がりやで、しまいかけた扇風機を引っぱり出し、一晩中かけていた。

この弟の、シャツや下着を洗たくして干していたら、顔見知りの奥さんが、通りかかって「奥さん、お宅のご主人はスマートなのに、大きなシャツ着さるのやなあ」といわれ大笑いする。


でもとてもやさしい弟でもある。
この弟のお嫁さんになる人はどんな人かしら?
暑がりやで食いしん坊の弟のお嫁さんになる人も大変だ。でもとても楽しみである。
この広い空のどこかで未来の義妹はなにをしているのだろう。

何年か先には「おねえさん」と呼んでくれる妹ができる。
妹のいない私は、どんな人だろうと、とても楽しみにしている。


コスモス 記事へ

秋も深まってまいりました。
家々の庭先に、コスモスがかれんな花を咲かせているのが、目につきます。
ピンクの花、紅の花、清い花々のコスモスもかれんでかわいくとても好きです。


昔、少女のころ、コスモスの花を見ていると、まるで自分が、少女小説のヒロインになったような気がして、とてもロマンチックな空想にふけったことを思い出します。
娘時代、コスモスの花は清そで清純で、ひっそりとたたずむおとめの姿を連想し、そんな人になりたいと、ひそかに夢みたものです。

   

そして今、妻となり母となり、つつましく平凡な毎日の明けくれの中でコスモスの花は、静かで平和な安らぎを与えてくれます。
家の床の間にコスモスを一輪さしてみました。それだけで部屋の中が静かなうるおいをただよわせてくれます。

   

そういえば、このあいだ長男の幼稚園にいった時、園の庭いっぱいにコスモスが咲き誇っていました。いつだったか遠い昔、汽車の窓からながめた名も知らぬ小さな駅のホームいっぱいに、コスモスの花が乱れ咲き、その清そな美しさが今も忘れられない。
わが家に庭があったら、いっぱいコスモスの花を咲かせるのに、とても残念です。
ひっそりと咲くコスモスの花は、私の心のあこがれ。つつましく静かなたたずまい、そして何事にも耐えぬける強さを...。


生活の詩 記事へ

Y子ちゃん、近々ご結婚されるとのことおめでとうございます。
あなたが選んだ人きっとすばらしい青年だと思います。結婚生活7年の先輩としてあなたに生活の詩(うた)をつづってみようと思います。

   

二十二歳で結婚、二十三歳で長男、二十四歳で二男をさずかった私、二人の子供をあずけての一昨年までの共働き生活、とても甘い新婚生活とはほど遠い日々でしたけど、でもとても充実した毎日だったと思います。早番、おそ番と不規則な勤務の中で二人の子供を育てるのはとてもつらいものでした。

冬の雪の降る寒い朝、早出のため五時起床、眠っている子供を背負って、子守のおばさんの家に連れて行く時、涙がこぼれることもありました。

またおそ出の勤務が終わって、おばさんの家に寄ると子供は待ちくたびれ眠っていることもしばしばでした。苦しみも多かったけど、それに耐えられる喜びも大だったと思います。
四畳半の間借り生活から借家住まい、そしてわが家を得るまで、ただただ主人とともに一生懸命生活と戦ってきたつもりです。

   

でもこれからです。わが家を得た借金も返さないといけないし。
人間のしあわせは人それぞれ異なるでしょう。
でも女って結婚して妻となり母となることって一番のしあわせじゃあないでしょうか。
夫婦が協力して一生懸命生活を築いていく、すばらしいことだと思います。

一昨年会社をやめやっと主婦として母親としてゆったりした気分にひたっています。
会社をやめ、気がつかなかった生活の知恵も身につけました。家計簿も一生懸命つけています。
一等のお肉の半値ぐらいな三等のお肉のおいしい料理法や、大根の葉っぱのおいしく食べれることも知りました。
四月には二男も幼稚園、そして今私のおなかは三人目の子供の胎動を感じています。押し入れからあまり布やねまきのお古で目下、自己流ベビー服を作製中です。

Y子ちゃん、しあわせになってくださいね。


青春と根性 記事へ

松山商業の選手の皆さん、全国優勝ほんとうにほんとうにおめでとうございます。
いかなる美辞麗句でつづってもあなたたちのこの喜びは表せないでしょう。
あまり野球に関心のない私でも今度の息づまる一試合一試合に、テレビにくぎづけになりました。

   

すばらしい青春の戦いに、おしみない声援をおくらずにはいられませんでした。
何とすばらしい青春でしょう。力強い若人の祭典、すばらしい精神力と根性、あつい団結の力、そこには一片の不純なものさえ許さない尊い青春の祭典があるのです。

ふたたびくることのない青春、どんな大金を投じても手にはいらないもの、いつだったか松下幸之助氏が買えるものなら、私の全財産を投じても買いたい、とのべていました。
それが青春なのです。

   

現代っ子は根性がないといわれています。
でもあなたたちのすばらしいど根性、深く教えられ考えさせられました。
その陰には、あなたたちをここまで育ててくださった両親、先生、監督さん、深い友情のきずなで結ばれた選手の皆さん、そして必死の応援する応援団の人等々。多くの人々の善意の集まりを忘れてはいけないと思います。

スポーツにかぎらず、何でも一つのことに熱中できる青春、ほんとうにすばらしいことです。
これからのあなたたちの長い人生に、きっとこの青春の思い出は消えることがないように、社会人になられても、このすばらしい教訓をいかしてその根性を立派に社会に役立ててほしいと思います。


三人兄弟 記事へ

六月なかばに誕生したわが家の三男坊、そろそろ六ヵ月になろうとしています。
近ごろ特に表情豊かになり知恵がつき、寝返りをしてコソコソし始めたり、声をかけるとにっこり笑顔で答えてくれるようになると、かわいさもひとしおである。

女の子がほしいほしいと願っていた私たち夫婦と、二人のお兄ちゃんの期待に反して誕生した三人目の男の子。
でも今はもう、私たち夫婦も二人のお兄ちゃんもこの三男坊に首ったけ。
久しく遠ざかっていた赤ちゃんに家中で大歓迎。六歳と五歳の二人のお兄ちゃんはこの弟に大喜びで、おもちゃでも何でも「これ明ちゃんが大きくなったらやるんだ」と箱に一杯つめている。

   

よく「三人になると大変でしょう」「男の子ばかりでにぎやかでしょう」「忙しいでしょう」等々いわれるけど、とんでもない。
そりゃあ忙しくって、忙しくって、それに下の子をおぶって、おばあちゃんたちのお店の手伝いで一日三十時間ほしいなんて考えちゃいます。
でも張りがあって楽しいわ。
いつか三人のむすこが私たち夫婦から羽ばたくその日まで、ただひたすら二人のお兄ちゃんにも、そしてこの三男坊にも平等に、その愛を分けてやりましょう。

   

どうかその日まで、母としてわが子がすなおで心豊かな男の子に成長してほしい、と祈るのみです。
何の財産もない、貧しい私たち夫婦にとって、子供はかけがえのない生命であり、財産でもあるのです。