高校時代、教科を選択するとき、友達と「家庭科はいやだわ」と言って物理や化学を選びました。
そして娘時代、編み針一本持ったことのなかった私が、四人の子の母親として、少しでも子供たちの身の回りを、手作りでかざりたいと考え、やっと四人目の子が来年幼稚園に入るようになり育児からも手が離れ、この春編み機編みを習いました。
自他ともに認める不器用者ですが、六回ほど教えに来てもらい、どうにかセーターが出来上がると、なんだかとっても楽しくなり、家事の合間をみつけて、編んでいます。
四人の男の子たちが自分の編んだセーター、カーディガンなどを着ているのをみると実益から始めた編み物がいつか趣味になっていくようになりました。
お料理も食いしん坊の私が、いろいろな料理を手がけるようになりました。
仕事から帰った主人に、既成のおかずや即席料理を差しだすだけでは何のための主婦なのかわからない。手間と時間をかけて、安くておいしい料理はと日々頭をいためながら「おいしい」の一言が、主婦にとって一番うれしいことです。
「お料理も習いに行こうかな」と言ったら、主人も子供たちも大賛成。そのうち習いに行くつもりでおります。
そして読書。
高校時代にたくさん読んだのに、乱読ばかりで心に残った本が何冊あるかしらと悔やまれてなりません。やっと子供から少しずつ手が離れたのを機会に、夜みんなの寝しずまった時間、一時間余りの読書は私にとって充実した時間です。
何事も、どんな小さいことでも、自分が楽しいと思ってやれることは、幸せなことだと思っています。
毎日の家族の食事の任に当たる主婦にとって、二度三度の食事の献立は、何にしようかと頭を痛めるのは主婦の皆様どなたも同じだと思います。
冷凍食品や即席料理の出回っている今日、やはり家族には手間と、時間をかけた料理を作りたいものです。幸い勤めをもたず、家庭の中にいる自分をフルに発揮して、一生懸命手作りを心がけております。
献立とは、ただ好きな料理を並べたり、経済も考えずに、おいしいものを作ったりするものではないと思います。
『食べたいもの』と『食べなければならないもの』を上手に組み合わせることが、一番大切なことではないでしょうか。
ハムやソーセージ、お肉などを好む現代っ子に、大切な野菜の組み合わせ、私の家では、寒い朝は大根、ニンジン、ホウレン草、豆腐などを入れたおじや(雑炊)や、おイモの入ったイモがゆ、それにおミソ汁は野菜のいっぱい入った実だくさんのものにしています。
ホウレン草の安価な日は、きまっておひたしにして、食卓に並べています。
前夜から水につけた大豆を翌朝から弱火で、コトコト夕方近くまでかかって煮ますが、大豆とコンブは主人の好物の一つです。
水上勉氏の随筆の一節に「近頃水炊を食べても昔の様に鶏肉がおいしくなくなった。鶏舎の中で機械的に餌を与えられる鶏にくらべ、昔は農家の庭先で、ミミズをつつき青菜を求めていたものだ。何より鶏自身が自然を、四季をはだに感じていたからではあるまいか」と述べておられた文章が、とっても印象強く心に残っております。
学校でも朝食ぬきで、登校してくる子供もいると聞きました。
やはり毎日の食事は、家族の健康の源となると思うと、手間をおしんではいけないと思います。
子どもの手をひいて入学式にのぞんだことが、まるで昨日のような気がいたします。
あれから六年―。子どもは大きく成長してくれました。おとなしくって内気だった彼が、一年毎に逞しく前進していくようすを、私は遠くからそっと見つめてまいりました。
彼は六年間で、さまざまのことを心と身体で学んだことと思います。
近頃特に少年らしくなった子どもをみるにつけ、母親として、もっともっと視野を広め、勉強しなければいけないことも、痛切に感じる今日この頃です。
子どもから少年へと、これから大きく広く眼を向け、一歩一歩確実に前進して欲しいと思います。
苦しくとも、それに耐える心と身体を、ぜひとも築いてもらいたいものです。
今までもそうであったように、何よりも大切なことは、相手の気持ちを、そっと思いやる心づかいを、生涯はぐくみつづけて欲しいと思います。
この春、我が家の四番目の末っ子が幼稚園に入園して、そろそろ九ヶ月。
始めての集団生活を心配していましたが、元気に通園する姿に、ほっとしています。
先日愛媛大学の長谷川教授のお話を聞き、考えさせられることの多い自分に反省しております。その中で教育の減速運動のことを、おっしゃっておられましたが、私も大賛成の一人です。
「早く芽をだせ」式のさまざまの諸問題から、「ゆっくり芽をだせ」と、温かく見つめていく、教育のあり方があってもいいのではないでしょうか。
我が家の四人の子どもにしても、一人一人性格、性質も異なり、毎日考えさせられたり、学ぶことの多い日々です。
子どもに教えることも多い反面、子どもから教えられることもたくさんあります。
毎日毎日の子どもの小さな成長が、いつか大きく成長し、前進していけるように、その子その子の個性を、ゆっくりひきのばしてやることが、大切なことだと思っています。
夏休みに入り、一週間ほど松山に遊びに行っていた小二の息子を迎えに行った帰りの車中で、毎日あっちこっち、遊びに連れて行ってもらって、楽しかったこと、広いプールでおもいきり泳いだこと、外食をたびたびしたことなど、いろいろ話してくれる。
「よかったね、もっといて、おじいちゃん、おばあちゃんたちにいろいろ連れて行ってもらったら」
「もうたくさん行ったからいいよ、やっぱり僕の町が好き!」
「どうして?」
「だって松山は、―おばちゃん、○○ちょうだい―って行く店がないんだもの、大きなスーパーでほとんど買い物するんだよ」。
そういえば、子供のいう通りだなって思いました。
スーパーに入れば、一言も口をきかなくても欲しい物をカゴに入れ、特売、目玉商品、たくさんの品物、一度に買い物もすませるし便利です。
わが家の近くには比較的いろいろなお店がそろっています。
毎日の買い物は近くのお店でほとんど用が足りますし、子供にちょっとした買い物を頼みます。
「おばちゃん、○○ちょうだい」って声をかければ、「あら、きょうはおつかいえらいナー、松山は楽しかった?デパート行った?道後は―」といっぱい、言葉を返してくれます。
以前、なにかの本で、都会から九州の田舎に転勤になった主婦が、翌日近くのお店で水にいっぱいはいった豆腐に驚き、「半丁でもお分けしますよ」といった店の人の言葉に、一ぺんにこの土地が好きになったと、書いた文を読んだことを思い出します。
キュウリ一本、ナス二本、タマネギ三個なんて必要なだけ買えるお店が、たくさん近くにあることは、幸せだあと思っています。
子供の「おばちゃん、ちょうだい!」の言葉に、あたたかい日だまりを思いおこしました。
今ではだんだんふるさとの味を、味わうことも薄れがちになってしまいました。
南予地方に伝承されたふるさとの味、ふるさと料理を見直してもらおうという県主催の『ふるさと料理教室』の案内を知り、さっそく参加させていただきました。
丸ずし、ほうたれのぬた、さつま、ふかの湯ざらし、とろろ汁、めんかけ、福めん、すり身の天ぷら、紅白なますなど山の幸、海の幸に恵まれた郷土の料理を、もっともっと若い人たちにも受け継いでほしいと思います。
ふるさと料理は、市内の一流の調理士さんが多数ご指導して下さって、本当にいろいろ教えられることばかりです。
たとえば盛りつけ一つにしても、いかにもおいしそうで、トマト一個そえるにしてもただ切って並べるだけだった私にとって、トマトがすばらしい真っ赤なお花として、おさらの上に変身?。
私たちの子供のころ、紋日はとっても楽しみなものでした。
ふだん粗食であっただけに、『ごちそう』が食べられる日を指折り数えたものでした。
昔とくらべ生活様式も変わり便利になりお金さえだせば、なんでも食べたいものが手に入るようになりました。
横文字の料理が、なにかあたり前のようになってしまった昨今です。
主婦も、働きにでている人がいっぱいになりました。コトコト手のかかる料理に時間を費やすよりも、もっともっとほかのことに、時間をかけるべきだとおっしゃる人もたくさんおられると思います。
『ふるさと料理教室』のはじめのあいさつのなかに、「ふるさと料理は、私たちの祖先がそれぞれの気候風土に合った、特色ある料理を生活の知恵であみ出した遺産です」と述べておられましたが、やっぱり折にふれ、子供たちにもふるさとの味を残してやりたいと思っております。
夜半ふとめざめた私の耳に「君の行く道は、はてしなく遠い、だけどなぜ、君は行くのかそんなにしてまで―」哀愁をおびた歌声が私の胸をしめつけ、涙がとめどなく流れてやみません。
夜半、孤独な自分の時間、ふだん歌など歌ったことのない中二の二男の声は、声変わりした男の子の歌でなく、一人の男として自分の進む道を真剣に考えてる今、苦しい道程を望んでる彼の胸の内を、ふとのぞいたようで、その歌声はひしひしと私の胸にせまりました。
彼が相撲に特別の関心を示したのは小六のころでした。
毎月与える小遣いの中で相撲に関する本を買い求めていました。勉強に関する本は全然目を通さず、相撲の本ばかり。でもそれは、少年のあこがれだと思っていました。
「中学をでたら僕を相撲の弟子入りさせて欲しい」と、真剣に、涙を浮かべた中二の二男の気持ちを聞かされた時、私たち夫婦は驚きました。
と同時に、やっぱりと思う気持ちも一緒でした。
中学に入学すると、彼は部員三、四人という相撲部にためらうことなく入部しました。
「相撲なんてやめてサッカーにしたら?野球部はどう?」と言う私の言葉に彼は、「僕は華やかなスポーツはきらいだ」と一言ぽつんと言いました。
チームでプレーする楽しみより、一人自分との孤独な戦いの相撲に、無口な彼がひかれた気持ちもわかるようです。
四人の息子の中でも彼はとりわけ無口でした。それだけに夜中、一人で歌う彼の歌声に涙せずにはいられませんでした。
「十五歳であなたを社会に出すことは、父さんも母さんも反対よ。相撲の世界は想像以上に苦しい連続よ。たとえ入っても名前が出るまでに何年間もの苦しい修業があるのよ。だけどそれはほんの一部分の人だけ。ほとんどの人は名もなしえずに去って行くの。それでもしんぼうできる?その時になって、父さんも母さんもあなたに手をさしのべることはしないのよ。自立の道を自分で求めなければいけないの。できる?進学して三年間身体も心も大きく成長なさい。それでも相撲をとるのなら、もう母さんなんにも言わない。」
私をみつめる彼の目から涙があふれ、こっくりうなずきました。
四人の子供たちに、できることなら苦難の道を歩ませたくない、そんな私の心を乗り越えて、二男は苦しい道を求めるのでしょうか。
これから四年の年月を待ってみようと思います。
彼は今、八月に徳島である中学総体の四国大会出場のため頑張っています。
おしゃべりするより、書く方が好きなんです。
十年前、上の子供が四歳のとき思いついて書いたのが採用され、うれしくて連続して出しましたが、近ごろは年に一回ぐらいでしょうか。
学校時代は文芸部で文集をつくったりするのが好きでしたが、子供の小さいころは育児に手がかかり、読むばかりだったんです。
子供が四つ、五つになり、書いてみようかなあ、という気になりました。
大勢の前でしゃべるのは苦手で、気持ちも伝えにくいが、一人で書くと、いろんな思いも出てくるでしょう。
だから友達に対しても電話より、手紙を書くことにしています。
『てかがみ』でもそうですが、書くことによって友達がたくさんできるのが一番うれしいです。
近ごろの女性はすてきです。特にお母さんたちは―。身だしなみもいいし、お化粧だってすてきです。
カラフルな服装、上品な着こなし、とってもすばらしいお母さんがいっぱいです。
だけど一つだけ寂しく感じることがあります。『ひとみ』です。優しいまなざしです。
私たちの子供のころをふり返る時、なにもかも今にくらべ貧しいものでした。
どの家も、どの家も子供はたくさんいたし、貧しい家庭が多かったと思います。
お母さんたちだって、それこそぬかみそくさいおかみさんたちでいっぱい、なりふりかまわず、家庭をきりもりしていたお母さんが多かったと思います。
でも今ふり返っても、友達のお母さん、近所だったおばさん、どの人々の顔もとっても温かく思い浮かべることができます。
なぜ?どの人たちもとっても優しい目をしていたからだと思います。
わが子も他の子も、同じようにあつかってくれました。あたたかいひとみで、みてくれたと思います。
けんかをしても、決してわが子だけがいい子だと思わず、相手の子供の言い分も聞く耳を、しっかり持っていたと思うんです。
貧しかったけど、ほとんどといっていいくらい、子供たちはすさんだり、いじけたりしなかったはずです。まわりから優しいひとみで見守ってくれてたからだと思います。
だんだん物が豊かになり、くらしが楽になり、子供の数だって少なくなりました。
でも!でも!まわりからだんだん優しさが失われるのはどうしたことでしょう。
あたたかい心が失われるのはどうしたことでしょう。
本当に寂しくてやりきれない気持ちです。
作家の三好京三氏の「人間は、他人のために生きているのです」という言葉を、声を大にしてさけびたい気持ちです。
近ごろ働く主婦がふえてきました。
視野を広く社会に向けることは本当にすばらしいことだと思います。
また生涯をかけても悔いない、生きがいのある仕事をしていらっしゃる女性も数多くおられると思います。立派な生きかただと思います。
だけどその半面、本当に生活に困って働かなければならない人よりも、より豊かな生活を求め働く人も少なくないことを新聞で読んだことがあります。
末っ子が、いつだったか「母さん、クラスで家族調べをしたら、僕が一番だったよ」と報告してくれました。
発育ざかりの四人の男の子と、年老いた母をまじえ、わが家は七人家族である。夫一人の働きで生活しているわけだから、いきおい生活も質素でつつましいものである。
「働こうかな」って言ったら、夫が「どうしても生活できなければだけど、つつましくて生活できるんなら、家にいてくれ。成長ざかりの四人の男の子たちに、将来悔いることがあったりしたら、それこそ苦しむから」と―。
戦前の中古のわが家には、子供部屋だって一人一人与えることもできないけど、四人ともわが家の経済を知ってるから、だれも文句を言わない。
服だって親類や知人、近所からのおさがりがほとんどである。
きれいに洗って、つくろって子供たちはそれがあたり前のようになってしまった。
貧しくとも、子供の心の中まで貧しいとは決して思っていない私である。
『がまん』することも大切な一つだと思う。
古い家でも、きれいに掃除して、子供たちを「おかえりなさい」とあたたかく迎えてやり、心をこめて料理をすることは妻として、母として大切なことだ、と夫は力説する。
いつだったかの新聞で、「物は貧しくても、親の温かい目があれば、子供は決してすさみません」という記事を読んだことがある。夫も私もそれを、心から信じているものである。
高校生に中学生、小学生と四人の男の子の食欲は、まさに「すごい!」の一言である。
七人家族の一ヶ月の消費米、約五斗、七十キロ弱である。
夫の同僚が冷蔵庫の中の食べ物が、片づかなくて腐ってしまうと、こぼしていたと話を聞き「わあ、わが家と正反対ね」と苦笑する。
何か食べるものはないかと、八つのひとみは冷蔵庫のすみずみまで点検?をおこたらない。
テレビで冷蔵庫のコマーシャルをみるたびに、「ああ、うちもいつもあんなに、いっぱいいっぱい入っていたらなあ―」とうらやましがることしきりである。
学校から帰って「タダイマ」の次の言葉は、どの子も「今晩なに?」である。
オムレツをすれば、タマゴが一度に十五個。二時間余りも時間をかけて作った、五十数個のコロッケは「いただきます」の合図とともにあっという間に、胃袋におさまってしまう。
一升のごはんをにぎって作った数十個のにぎりずしなら、まさにあっちこっちから手を伸ばし、「ああ、うまかった」でそれはもう、きれいさっぱりである。
煮込みうどんをすれば、大なべにうどん玉十数玉。
暑くなれば、大玉のレタスが二玉、パリパリと小気味良い歯音とともに、一度になくなってしまう。
うれしいことに、子供たちはおかずの文句を言わないし、なんでもおいしく食べてくれる。
春夏秋冬、いろいろな献立を考えながら、大変だけど、でも今が一番夫や私の人生で、充実した時だと思う。
だからきょうを精いっぱい生きていこう。
さあ、そろそろ腹ぺこの息子たちのお帰りだ。腕をふるわなくちゃあ!