このホームページに掲載している"てかがみ"は、
亡き母の一周忌に兄弟一同でまとめた「てかがみ集」が元になっています。
まさか天国の母も自分のてかがみでホームページが出来るとは夢にも思ってもいなかったでしょう。


しかし、書かれている文章を読んでみて、改めて「生きていく知恵や価値観・・・生かされてることへの感謝」への気づきが多く、 読んでいただいた方への励ましのメッセージになるのでは・・・
そう思いホームページとしてまとめてみました。


あくまで、生前の母を知る方に向けてのサイト公開になりますが・・・
読んでいただいた方の生きる元気や励ましになれば天国の母も喜んでくれるのではないかと思います。

「母さんの綴ってきたてかがみ、まとめて本にするけんね。」
生前の母が語ってくれていた。
亡くなる何年前のことだっただろうか。
当時は、「あーぁ、ほんと。出来たらいいねぇ。」と、軽く受け流していた。

あれから数年で、母がこの世を去るとは考えてもいなかった。
まだまだ元気でいてくれる。いつもの優しい微笑みで迎えてくれる・・・
そんな気持ちでずっと母を想っていた。

   

が、その母は、思いもかけず平成16年3月8日午前5時10分にこの世から天国へと旅立った。

残された父、兄弟四人宛にそれぞれ手紙を書き残していた。
「母さんの人生、とっても幸せでした・・・」
旅立たれてみて、母の残した言葉を深く噛締めていた。涙が止まらなかった。
亡くしたものが大きくて言葉にならなかった。

父あての手紙の「今度生まれてきても、迷わずあなたと一緒になりたい。」という文章を読んで、本当に幸せな一生だったんだなぁ・・・
と「最愛」がぴったりする両親の夫婦関係に尊敬を覚えた。

   

昭和43年から始まるこの「てかがみ」を改めて読んで、父、兄弟、家族への優しく温かい心、考え方、価値観に再び触れ、文章そのまま母の人柄だなぁーと再認識させられるところ大だった。

「てかがみ」を読み、その当時の母が自分の記憶の中によみがえってきた。
多分、最初の頃の掲載だったのだろう。
「うわぁー、載ってる、載ってる。」
と、すごく嬉しそうな弾んだ声をしていた母を覚えている。
てかがみ会談で、新聞紙面に掲載された日の新聞を「余分に頂けませんか。」と、新聞販売店に問い合わせしていた母の姿を鮮明に覚えている。

文章を読みながら、当時の状況がよみがえって、当時の母の考え方に触れるにつれ、改めて一生懸命生きていた母を想った。

一番最後の「てかがみ」は、電話で
「今日の愛媛新聞のてかがみ見といてねっ。」と言っていた母の声・・・・。
まだ、はっきりと覚えている。

   

夫婦二人で、夫婦春秋の生き方をしてきた父と母は本当に幸せな人生だった・・・兄弟四人して拍手を送りたい。
正直に、誠実に、人を騙さず、人に迷惑かけず人の道を大手を振って生きてきた二人に賞賛の言葉と感謝の言葉を送りたい。

「ありがとう。本当にありがとう。」

   

この「てかがみ」をまとめるのに母のすばらしさを再認識しつつ、父の偉大さも改めて感じた。
「夫婦はお互い様、人の世もお互い様」
人に優しく、優しくと努力していた母は、父より大きな優しさを与えられていたんだ。
今、はっきりとそう思う。

生きることはお互い様・・・
兄弟四人、そう思う。

母・尚子の一周忌を迎えて、無事に遺言の「てかがみ」を冊子としてまとめることが出来て、うれしく思います。


書くことの好きだった母のメッセージが、時を越えて、残された我々家族の心に優しく、温かく届くことは、
何より天国にいる母の望みだったかと考えます。
今ごろ、天国で「ありがとう。よくまとめてくれたね。」って微笑んでいることでしょう。


編集を終えてみると、ただの母の新聞投稿というよりも、我々家族の懐かしい思い出の記録でもあり、
父と母の育んだ愛情の証しでもあり、母の生き方、人生観のメッセージでもあります。
生前に、母のお世話になった方々にも、母からのメッセージとしてお贈りさせて頂きます。


兄弟一同
平成17年3月8日